司馬遼太郎「殉死」☆☆

殉死

明治天皇が崩御し、その大喪の礼が行われた日の午後に、明治天皇の御真影の前で自刃した陸軍大将・乃木希典。

この作品は日露戦争の英雄として世界的に知られ、伯爵に陞爵され、学習院院長として裕仁親王(後の昭和天皇)の指導をした乃木大将の人物像に迫る歴史小説です。


乃木希典が主人公の歴史小説というよりも、乃木希典の事を筆者の言葉を借りれば「筆者自身の思考材料として」書かれた小説であり、覚え書風であると言えば言えるのかも知れません。

管理人は乃木大将の名前くらいは知っていましたし、日露戦争の時の将軍で六本木だか赤坂の方に乃木神社という名前の神社があって、そこに祀られている事も知っていました。

実際中学の頃に乃木神社に行ったことがあるし、乃木将軍愛用のものを見た記憶もありましたけど、しかし戦後生まれの管理人には、大正や昭和初期には有名だったという「水師営の会見」という唱歌は知らないし、彼がどんな人物だったかという事は全く知りませんでした。

神社に祀られる神様にまでなった乃木大将が、実は無能と言うに近いほど戦下手であったということは、「坂の上の雲」を読むまでは知らなかった。

その無能な将軍が日露戦争勝利の象徴として、日本海海戦の東郷平八郎と並び称されるというのは、不思議な成り行きだったとしか思えません。

乃木が詩人的体質であり、自分の行動に自分が酔ってしまう、また自分自身を感動させる行動を無意識に本能的に起こせる体質の人間だったという見方が面白いと思います。

また明治天皇の郎党的な存在だったとする見方も成程と思い、詩人的な体質だった事も相まって、明治天皇崩御に際して、殉死という明治というハイカラな色彩を持つ時代の中でも一際輝いて見えるような死に様で自分を表現したという事にも説得力を感じます。

乃木は日露戦争の象徴として世界中に知名度が高かったそうですが、その最期もまた劇的であったということで世界中を感動させたそうです。

司馬遼太郎の観点では軍人としても教育者としても二流以下の人物だったと評される乃木希典ですが、没後神になり、歌になり、遺言の一文が米国の陸軍士官学校の教科書に採用されるまでになるのは、やはり何かを持っていた人物だったのでしょう。

また、乃木希典自刃の後、奥様の静子さんも後を追って自刃していますが、希典本人はそれを想定していなかったようで、二人の夫婦の結びつきの深さも考えさせられますが、作者はその辺りはあまり考察していません。

正直言えば、司馬遼太郎は乃木希典に対してあまり好意を持っていないように思いますが、それでもこうして作品にしているところを見ると、色々と興味深い人物だとは思っていたのでしょう。


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