トマス・H・クック「緋色の記憶」☆☆
今や老境に達した弁護士が回想する自身の若かりし頃の思い出、そして起きた恐ろしい事件の真相を、非常に重厚な筆致で描いた1997年度のMWA最優秀長編賞受賞のミステリィです。
現在からフラッシュバックで浮かび上がる多感な少年時代の出来事。
この手法が実に効果的で、真相が徐々に明らかになって行くと同時に、老弁護士の忌まわしきはずの思い出が、何故か心に染み渡る程美しく思えます。
とても映像的というか情景が目に浮かぶような作品で、管理人は映画の「チップス先生さようなら」を思い浮かべてしまいました。
全く似ていない作品ですのにね。
事件そのものは、痛ましい事件ではあるもののミステリィのネタとしては派手な部類ではありません。
凶悪な事件もなく、極悪非道な殺人犯が登場するわけでもなく、謎解きがあるわけでもなく、意図的な悪意が有った訳でもない。
誤解が招いた悲劇でしかない。
それでも起こるこうした事件には、人の心の不可思議さと運命のいたずらを思わずにはいられない。
それと共に思春期の少年が抱く周囲の全てのものに対する反感と未知へのあこがれ、美しい年上の女性に対する思慕の念、尊敬に値する父親に対する情愛、そしてそういう感情と矛盾するような反発心。
そういった感情が読者の心を揺さぶります。
エンターティメントであるミステリィというよりも、ミステリィの形式をとった文学作品という印象を受ける作品です。